情報量とは何か
- もしもアインシュタインが翻訳家だったら 〈第III部〉情報量が翻訳の宇宙を支配する (夢叶舎)
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情報子についてまだまだ説明が必要ですが、ここで、情報量の説明をしておきます。
ここでは情報量の大きさを問題にします。情報量が大きいか小さいかは、多いか少ないかとはちがいます。
この点に注意してください。
情報量が大きいか小さいかは情報科学の概念でもあり、情報量が大きいとは不確かさ、あいまいさが少ないということです。
わかりやすく言うと、
さっぱり
ぼんやり
まあまあ
くっきり
ばっちり
下に行くほど情報量が大きくなります。
これを意味領域で考えると、情報量が大きいということは意味領域が狭いということで、言い換えれば、まさにそのことずばりと言っているということです。情報量が小さいと意味領域が広く、ある意味にもとれるし、別の意味にもとれるということになります。
必然的に辞書に載っている訳語の数が多い語ほど情報量が小さく、訳語の数がすくないほど情報量が大きいことになります。
なぜ、情報量が大切か、簡単に言うと、情報量の大きい語も小さい語も一律に扱うのではなく、メリハリをつける必要があるからです。
情報量の小さい語、たとえば、for のような語。だれもが、知っていると思ってとびつき、安心します。逆にたとえば、osteoporosis なんかはむずかしいと思います。
でも、よく考えてください。osteoporosisは辞書で骨粗鬆症と出てくれば、もうそれで問題解決です。
一方、for は「~のため」なのか、「~にとって」なのか、すぐにはわかりません。
翻訳学習者は自分になじみの深い語から訳を決めるくせがあります。このfor をとりあえず「~のために」と決め、それに合わせて自分の知らない語の訳を決めようとします。
クロスワードパズルでそんなことをする人がいるでしょうか。絶対確実な語から埋めていくはずです。それで for のような語が最後に残り、「~にとって」であることが「確定」するわけです。
また、情報量の小さい語は文字の上で訳さなくても、その情報は周囲の語から自然に伝わることが多く、訳してしまうと不自然になることが多いものです。
その意味でも、情報量の大きさを考えることはとても重要なことです。
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